①ある政府関連財団の科学コミュニケーションセンターで関係者がTwitterで「専門家による意義深い取り組みです」と、学者が科学知識を伝える組織の活動を紹介していた。
(中略)
科学コミュニケーションの大失敗によって福島県が混乱し、日本経済が負担で崩壊しかねない「戦時」において、「コミュニケーションがどうたら」とご高説を述べるのは、どこの国の「お公家さん」の話かと悲しくなります。今は危機に立ち向かうべき状況なのに
この小論におつきあいいただければ、皮肉を言いたくなる気持ちも読者の方に多少は理解いただけると思う。多少、八つ当たりの面があることは認めるが…
②放射能パニックと生まれた恐怖によって合理的な対策が行われず、福島内外の人にストレスを加えている。恐怖は鎮静化しつつあるものの、今でも問題は継続している
③さまざまな混乱が続く。一連の問題は「科学知識の社会の普及」の失敗によって生み出された面がある。「科学コミュニケーション」という言葉は多義的なので、ここではこの意味で使う。放射能のリスクを科学で分かる範囲で正確に認識し、福島の現状を冷静に観察すれば、恐怖を抱くことも、騒擾が社会に包まれる必要もない。現状の混乱はばかばかしいものだ。
④こうした状況を憂いて、私は一記者として必要な情報を正確に紹介しようと試みてきた。
(中略)
「御用」とか「原発推進派」とこの2年半、ののしられ続けられた。その中には狂気、憎悪を帯びる異様なものもあった。私だけではなく、放射能とリスクをめぐるコミュニケーションを試みる人は、同じような無駄な手間にエネルギーを費やした。
①冒頭の例に戻ろう。私がカチンときたのは、目の前に放射能パニックが存在し、それを解決しようと奔走する人たちがいるのに、専門家がそれに向き合わずに税金を使って「科学コミュニケーションかくあるべし」と語る姿に、「ずれている」と思ったためだ。(中略)後方で汚れない立場にいる「インテリ」への、現場にいる者の不快感だ。
②ネット上で話題になった「科学者が放射能騒動に関わらなかった理由」という文章がある。医学系研究者らしいが、まとめれば「騒動とかかわらなくてよかった。何のメリットもない」という文章だ。上に「カチン」としたのと同じ理由で、開き直るその態度に私は不快感を抱いた。
③しかし科学は社会の危機に役割を果たしているのだろうか。放射能問題を取材する時に2011年から12年までの大切な時期に取材をすると組織人、大学人、経済人は「名前を出したくない」「関わりたくない」という人ばかり。自らへ、そして組織への攻撃、批判を怖れていた。
この行為が、確かに事故当時、正確な情報を提供しようとした人に「「御用学者」狩り」などとする異様な言論がネットにあふれた。しかし、小さな個人のリスクから逃げ、専門家が「逃げる」行為が、デマを拡散する人々の横暴を許し、状況を混乱させた面がある。
④タレントの中には大学教授など教職・研究者の肩書きを利用して、自分の名前を売り出そうと過激な言説をばらまいた人までいた。日本の専門家の質は、平均値で見れば、能力の面でも、使命感の面でも、どうしようもなく、低いのかもしれない。
(中略)
一連の混乱は「専門家が責任を果たせなかった」「科学的な研究とそこから得られた知識が政策決定に活かされず、社会全体が無駄な損失を受け続けている」という「知の敗北」でもあるのだ。
①運営を担ってきた東京電力、原子力をめぐる産官学の関係者が責任を負うべきである。その後に起こった混乱については、政治家、そして政府に責任がある。
②放射能パニックでは、今も不安と恐怖にとらわれ、異様な行動を続ける人がいる。正直に言えば、私はこうした人に向き合うのはうんざりしている。しかし同じ同胞である以上、それを放置するべきではなく、何らかの救いを提供するべきと、思う。
③科学的なデータと事実が、現状の放射能防護対策に適切に反映されていない面が多い。発生する負担と便益を可能な限り比較し、住民の参加で公開の形で決める。これがICRP(国際放射線防護委員会)などの推奨する政策だ。ところが、日本では「リスクゼロ」を追求するために、コストの先行きは見通せないほど巨額になっている。
①原発事故後、不必要な混乱が続いていることは日本社会の「知の敗北」だ。どの立場に立とうと、自分の職分の範囲で「福島事故への責任を果たさなかったこと」の総和がこの状況を生んでしまった。ここで取り上げた科学コミュニケーションの失敗、それを生んだ「専門家の無駄なことには関わらない態度」は原因のすべてではないにしても、大きな部分を占めている。
②特に問題について知識を持ち解決策を提案できる、また問題に関わる専門家の責任は重い。社会から遊離しては、どのような専門家も、存在の意味がなくなる。そして眼前で重要問題が進行しているのに、それに向き合わずに空論を繰り返すことは滑稽であることを、冒頭の言葉は教える。
≪ LNT仮説は予測には使えない、ALARA原則とセットで意味を持つ | Home | 大気通過後の放射スペクトル分布 ≫
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管理人:icchou
非常勤講師
石井氏の文章一般については、良いものもある中で、以前からたまに違和感を感ずることもありました。bloomさんの当事者としてのコメントを読んでとその違和感がハッキリしました。追加としては、読解力以前に想像力が浅い面もあるかと。その反面(あるいは表裏一体で)自分基準が強いのでチョットですね。まぁ、今後は、少し割り引いて読むことにしています。
>リンク先も読まずに批判する人が結構いるんですね、、、
結構ではなく、ほとんどだと思いますよ。特に、ネット有名人のtweetなどの読まれ方としては。
以前の、紫外線と放射線の類似性、DNA損傷の資料はhttp://icchou20.blog94.fc2.com/blog-entry-435.htmlの上1/3ほどの*3にタイトル紹介だけしていますが、焦点を絞って勉強していくのは、自分には内容的に少々難しいと思っています。なお、その少し下の【メモ】に記載した東海大 佐々木政子教授の資料は全部は読んでないのですが良い資料でした。
リクエストの焦点から拡散方向なので役に立たないと思いますが、http://icchou20.blog94.fc2.com/blog-entry-427.htmlなどの記事を書いています。
また、ごく一部情報ですが、http://icchou20.blog94.fc2.com/blog-entry-402.htmlの中ほどに『図2-3 オゾンとDNAの紫外線吸収』の図があります。