前号の
【5】実質安全量:VSD (閾値がない化学物質)の続きです。
閾値がない化学物質の安全基準
もう一つの基準、耐容一日摂取量(TDI:Tolerable Daily Intake)
閾値がない化学物質の低濃度領域における
用量―反応の数理モデル図を振り返っていただきたいが、3本の線が引いてあった。すなわち、未だ
推定の領域であり、
いくつかの仮説が立てられている。
米国圏では真中の
直線的外挿を採用して
実質安全量(VSD)を用いているが、
欧州と日本では下側の線を採用し、
耐容一日摂取量(TDI)を用いている。
閾値がないということも推定に過ぎず、1群に数百万匹、数千万匹を使った動物実験が可能となれば(ネズミのアウシュビッツ)、低濃度領域における
用量―反応関係がもう少し明らかになるのだが・・・・。
耐容一日摂取量(TDI)においては、
閾値がある化学物質における
一日摂取許容量(ADI)と同様に、実験で求められた
最小毒性量(LOAEL)から
無有害作用濃度(NOAEL)を推定し、それに
不確実係数と
安全係数を乗じて求めることになる。
ただし、
一日摂取許容量(ADI)の場合は
用量―反応関係が直線であり、
無有害作用濃度(NOAEL)の推定は簡単であるが、
耐容一日摂取量(TDI)では曲線が想定されており、しかも数理モデルにも複数あり、大多数のヒトにとってそれらの数理モデルを理解することは難しい。しかし、それらの数理モデルから導き出される結論である
耐容一日摂取量(TDI)は、
一日摂取許容量(ADI)と同様に、ヒトが生涯に亘って摂取しても健康に影響しない量である。
各国のダイオキシンの基準値
さて、
環境ホルモン物質が注目を浴びて久しいが、
ダイオキシンの健康リスクの評価(遠山千春氏)からの引用である。
各国の
ダイオキシンの基準値
【補足説明】
- 週間耐容量(TWI: tolerable weekly intake)は、耐容一日摂取量(TDI)を7倍したもの
- pg:ピコグラム=10-12グラム=一兆分の一グラム、
- 現在の日本のTDIは4pg-TEQ/体重kg/日(TEQについては下のほうに説明資料を添付しています。)
「ヒトが生涯に亘って摂取しても健康に影響しない量である」とする
耐容一日摂取量(TDI)を用いた基準値よりも、
「一生涯食べても100万人に一人の影響しか見られない濃度」である
実質安全量(VSD)を用いた
EPA(米国環境省)の値がより厳しいことに注意してください。
ここで、多くの方は「影響があるのかないのかハッキリしろ」と堪忍袋の緒を切らすでしょう。残念ながら、現在の科学では低濃度領域の影響は推定に留まっており、全てが解明されている訳ではありません。
ここでもう一度図を見ていただきたいのだが、「
実験データに基づいて推定された
用量―反応曲線」の上に「
用量―反応曲線の
統計学的上限値」の曲線が描かれていることである。実験に基づいて計算された平均値が
前者であり、
後者の
統計学的上限値とは、
最悪の場合を統計学的に想定したものであり、そのような事態が発生するのは100回に1回未満の確率でしかない。既にゼロに近い用量(
最小有害作用濃度:LOAEL)が実験で求められており、その値が実験誤差によって低くなっていたとして最悪の場合を想定したものが「
用量―反応曲線の
統計学的上限値」である。すなわち、この段階で相当の安全率が見込まれていることを確認してください。
耐容一日摂取量(TDI)にしろ
実質安全量(VSD)にしろ、「
用量―反応曲線の
統計学的上限値」に基づいて、それより低濃度の影響を推定しているのであって、
「ヒトが生涯に亘って摂取しても健康に影響しない量」と表現しようが、
「一生涯食べても100万人に一人の影響しか見られない濃度」と表現しようが、
実質的には大差ない。もちろん、数値上の若干の違いが生じ、科学者としてはハッキリさせる責任があるが、
現在の科学レベルでは困難である。
大陸法系と英米法系
この点を突いて、「行政の基準値は出鱈目である」と非難する方々がいるが、それではどういう対案があるのかというと全くなく、いたずらに、社会的混乱をもたらすだけである。
耐容一日摂取量(TDI)と
実質安全量(VSD)の
二つの考え方について、私は次のように考える。
現在、国際的には
大陸法系と
英米法系の二大潮流がある。
判例の積み重ねによって形成された一般常識を基礎として新たな法制定の必要性と法案内容を検討する
英米法系では、実際に起きる多彩な事象を整理する際の誤差(危険率)を許容しないと案文ができない。あらゆる事態を法令に書き込むことは不可能であり、想定できなかった新たな事態に際して措置を追加することに慣れている。
他方、
大陸法は基本理念(憲法、○×基本法など)の枠内で個別の法令が出来上がる。この場合、「食品は安全でなければならない」と基本法で書かれると、リスクを許容することが難しくなり、「ヒトが生涯に亘って摂取しても健康に影響しない量」と表現しなければならないという事情が生じる。
すなわち、
耐容一日摂取量(TDI)と
実質安全量(VSD)の
二つの考え方は、
大陸法系と
英米法系の差異を反映しているものであろう。私は、「一生涯食べても100万人に一人の影響しか見られない濃度」と表現する方が単純明快で良いと考えるが、明治の国家創世記にドイツ法を採用した
日本では、リスクを許容しない方々が大半であろう。
ブログ主による補足説明
どちらの基準値が厳しいか?は一概ではない
以上の説明だけだと、
実質安全量(VSD)を採用しているアメリカの方が、基準が厳しいという印象を持ちますが、そうでもないようです。
例えば、
アフラトキシンの基準値を見てみましょう。
国別基準と国際基準(1)に一覧表がありますが、
米国は全ての食品で20 ppbで最も緩い値。
日本は全ての食品で10 ppb*。一方、
EU加盟国は品目別に規制値が定められており、例えば、
落花生15 ppb、
トウモロコシ10 ppb、
穀物4 ppbとかなり厳しい値です。
他の資料では、米国は自国のピーナッツやその製品などを輸出するために、アフラトキシンの規制値が緩い、という解説も目にします。それはそれで広い意味でのリスク論かな、と思います。
* 当時の日本の基準値は
アフラトキシンB1なので、
総量では米国と同じ20 ppbに相当するようです。現在の基準は
総アフラトキシンで
10 ppbになっています。
* ppb=千分の一ppm=0.001ppm、
詳細はこちら 実質安全量(VSD)の目標レベルは“100万人に一人(10-6)か “10万人に一人(10-5)”か?
1970年代に
FDA(アメリカ食品医薬品局)が “
10-6を essentially zero とみなすとしている”とのことです。
一方で、多くの文献では
10-5との記載や
10-5~10-6と幅を持った表現をしています。
この辺りを深堀りすると
リスクレベル論議、すなわち、リスク論の渦の中に迷い込んでしまうようです。とりあえず、以下の解説に納得しました。
出典:
社会と科学のギャップを埋めるための放射性物質リスクガバナンスの提案(産総研 安全科学研究部門 岸本充生氏)のP37
下記は別資料からの出典です。
環境分野における行政の管理目標は、環境基本法のもとに大気、水質、土壌および騒音に関する環境基準(行政上の努力目標)として定められています。 大気中のしきい値のない発がん物質について、リスクの考え方が導入されています。 すなわち、大気環境分野においては、「しきい値のない(害がないと言い切ることができない)発がん物質について、現段階においては生涯リスクレベル10-5(10 万人に1 人が発がん物質を原因として死亡する可能性がある状態)を当面の目標に、有害大気汚染物質への対策を考えていくことが適当」とされています。 また、発がんのおそれがある物質についての水質に関する環境基準は、世界保健機関(WHO)等が飲料水の水質基準設定に当たって広く採用している方法等を参考にしつつ設定されています。WHOの飲料水水質ガイドライン値は、「発がん性に関連して遺伝子への悪影響があり、しきい値がないと考えられる物質の場合、生涯にわたる発がん性のリスクの増加分を10-5以下に抑える」としています。 |
出典:出典:
原子力は、どのくらい安全なら、充分なのか(2002年7月 原子力安全委員会 安全目標専門部会)出典(個別に明記してある部分以外)
岡本教授の【分かりやすい安全性の考え方】
耐容一日摂取量(TDI) 国別基準と国際基準(1) 次号:【7】“リスク認知、リスクの比較”および“おわりに” .【追記】(おまけ的な情報)
ダイオキシン豆知識
●現在の環境中のダイオキシン濃度は環境基準より十分低い。
大気環境基準:
0.6 pg-TEQ/m3 水質環境基準:
1 pg-TEQ/m3
出典:
ダイオキシン類(関係省庁共通パンフレット2012年版)●ダイオキシンは発がんのプロモーターである。日本のTDIは
4pg-TEQ/体重kg/日 ダイオキシンの耐容一日摂取量(TDI)について(厚生省・環境庁同時発表) ダイオキシン耐容一日摂取量(TDI)について(概要)(環境庁中央環境審議会環境保健部会)

出典:
平成24年版 図で見る環境白書(環境省)毒性等量(TEQ:Toxic Equivalent)、毒性等価係数(TEF:Toxic Equivalency Factor)
出典:
生活環境論2008第10回 ダイオキシンとPCB【関連エントリー】
ダイオキシン類の環境放出量の変遷グラフ【個人的メモ】
★「国立環境研究所 環境儀 NO.1(2001年)」
コラム「環境ホルモンとダイオキシン」その1、
その2転記